木曜日の日記その2

文化展

 
「血液型人間学」は誤り。


 A型の人はきちょうめん、B型は気分屋ーなどと関連づける「血液型人間学」が、またというか、まだ、はやっていますね。 信仰するのは個人の自由だから結構ですが、はっきり言ってウソです。信じるベースになっている知識が間違っているから。 血液型は輸血の時しか役に立ちません。 だまされる人が悪いと言いたいなあ。
 「繰り返し、非科学的と批判されながら、血液型で恋愛の性格や仕事を考えると言う人が無くならないのはなぜか」 血液に対する信仰心は何千年も前からあります。 血液が人間の性格に関係するという考え方は、実は四、五千年前のインド、バビロニアの医学にさかのぼります。 「体液説」といわれますが、「多血質」は血が多いから多弁で元気がいいなどというわけです。 しかし人の心理を予測する力がなかったので、十九世紀までにつぶれてしまいます。 大昔の科学的仮説の一つに過ぎないんです。 ABO式の血液型そのものが発見されたのは二十世紀になってからです。 その四つの血液型に無理やり、古代の四つの気質を組み合わせた教育学者いて、日本での血液型人間学信仰の原点となります。
 星占いの「今日の運勢」などと同じで、読む人が、ああ自分はそうかも、と感じられる性格判断の記述になっていないと喜んでくれない。 A型の人はA型の性格のところしか読みませんし、比較検討する事もしません。 外れていることはみんな忘れてしまい、当っているところだけを覚えているわけなんです。 こうありたいと思っていることが説明に入っていれば嬉しいし、頭に残るんです。
 血液型人間学はきちんとした科学的手続きを経て提案されていませんし、追試して確認した研究もありません。 科学では研究対象をランダムに選んで、実験計画に基づいてききちっとした比較対照をする研究がなければなりません。 仮にA型とB型の性格の違いがあっても、血液型以外の要因が働いているかもしれません。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 と心理学者 村上 宜寛さん (愛媛県生まれ、大阪堺市育ち 富山大教授)
 中国新聞 こんにち話 2005 5 18日記載を転記する。
 右上の写真は昨年の文化展 恩師横尾先生、町長、他