水曜日の日記その2

oekat82005-05-18

 この道一筋
 エヒメアヤメは自然を愛する者の心を決して裏切らない。
 若林氏が小学校二年生のとき遠足に行つた。 「先生、この花は何と言う名の花ですか。」 「それはエヒメアヤメですよ。」そのときの薄紫色が今でも忘れられないという。
 二十歳を過ぎた頃、近所のおじいさんから声をかけられた。 「エヒメアヤメが全滅する。 若い者何とかしろ。」氏は飛んでいった。 自生地は荒れていた。 氏が必死になって枯れ木や枯れ草を取り除くと、ひ弱いエヒメアヤメの株が十五株出てきた。
 このままでは全滅する。 氏は仲間に自生地の手入れをしようと声をかけた。 誰も取り合ってはくれなかった。 氏は一人で草を刈り、枯れ木を取り除いた。 其のうちに賛同者が集まり、昭和三十年には三十人になった。 多くの会員が株を増やすことに熱心であったが、氏はエヒメアヤメは自生していることに価値がある。 自生することは、周辺の百六十三種類の雑草と共存して生きることだ。 人間が手伝えることは、草刈をしたり、木漏れ日が当るようにしてやることだけだと、人間の手を加え過ぎることを許さなかった。 
 氏は今も保存会の会長として会員と一緒に草刈に汗を流しておられる。 「自然と人間との共生」ややもすると主体を人間において、自然を人間の都合に合わせようとしてきたのではなかったか?。 防府市 若林清利さん (78歳) 山口県教育 5月号より転載