思いつくままの日記その2

田布施川

 謎々 朝早く首をくくり水に飛び込むものなーに。
 これが今日の話題。 茶がゆが大好きで、かなり前から毎週日曜日を「茶がゆの日」と決めている。 私の故郷である山口県阿知須(キララ浜)では、毎朝、茶がゆを食べる習慣があった。 母が炊く茶がゆは、さらさらとした食感で、のどごしが良く、何度かお代わりをして食べていた。 戦時中になると、茶がゆの中に団子や、大豆カスなども入るようになった。 また、野菜をたくさん入れた雑炊も食べていた。 現在、物が豊かになり、茶がゆも珍味として喜ばれたりもしている。 とある。 近藤トモ子さんは 我が家の茶がゆも、ハブ茶を煮出した中に米とサツマイモをいれる。 水加減、火加減が結構難しく、うっかり目を離すと炊きこぼれてしまう。 とあるが。 我が家(SINIA)では亡くなった母は茶袋(もめんの)に豆茶(ハブ茶?)を入れ炊飯していたのを思い出す。 茶がゆはお米が少なくて済み、戦時中はよく食したものである。 最近では夏場、に食欲不振の時、炊飯してもらい食べるが、なかなか良いものである。 家内は広島の人で、茶がゆを知ないので色々と説明して炊飯してもらう。 初めは、おかゆと言えば病人が食べる白かゆしかご存知ないので説明に苦労した。 茶がゆは食べる時の水加減が大切である。
 近藤さんは 最近は良質の米で炊くのだから茶がゆも昔の味にはならないだろう。もう懐かしい思い出となって、時折友と語りあっている。 とある。
 中国新聞 5/5日 広場に投稿された人は 山口県熊毛郡 主婦 近藤トモ子 73才 の方。
 謎々の答えは「茶袋」でした。  理由、昔は普通朝起きると、釜に水を容れ、薪に火をつけてから。 茶袋(横6〜7cm、縦8〜10cm)くらいの袋で紐が付けてあり、豆茶を入れひもで、くるくると巻き、釜の水の中に入れ、そしてお米を入れて、炊いた。 これは茶粥の炊きかたにもよります。
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