寛政の大喧嘩

享保(1716)、天明(1782)と飢饉が續き、麻郷別府の農村地帯は不況の極みであった。 半面伊保木、五軒屋の船乗り家業は大好況で、上関の代官の許可を得て、寛政八年(1796)八月に伊保木に八幡宮の社を新しく建立した。 
 ご神体は海の見渡せる伊保木八幡宮に「高松八幡宮」より移そうと、交渉したがはかどらず、秋の大祭の時、神主が御神輿に御神体御動座の時、奪いとる計画をして、足ごしらえした伊保木の青年が、当日御神体を奪い二代川より舟に乗せるべく走り去った。
 慌てた麻郷の青年が山越えの近道を通って、二代川で追いつき大喧嘩となった。 伊保木の青年は舟をすてて山道を通って御神体は伊保木に持ち帰った。 
 最後の決着は高松八幡宮の宮司が仲介して、高松八幡宮には新しい御神体をお迎えして祭り、一件落着と言う事になった。
  故郷の今昔物語  堀田 傳 作  より