享保(1716)、天明(1782)と飢饉が續き、麻郷別府の農村地帯は不況の極みであった。 半面伊保木、五軒屋の船乗り家業は大好況で、上関の代官の許可を得て、寛政八年(1796)八月に伊保木に八幡宮の社を新しく建立した。 ご神体は海の見渡せる伊保木八幡宮に「高…
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