出来の悪い二代目

 2世独裁者・金正日総書記も父・金日成(1994年死亡)と同じく国民に十分な食を与えられないまま死去した。親子合わせ63年間の“鉄拳統治”の下、北朝鮮は核とミサイルの開発には成功したが国民は貧困から抜け出せず、まともな国家としてついに浮上できなかった。

 国家指導者の死に際して人物評には「功罪相半ばする」との形容句がよく付くが、故金正日総書記には「功」が見当たらない。

 48年の建国以来、最大の国家目標であり国民への約束だった「米のごはんと肉のスープ」を最後まで国民に提供できなかった。国民を飢えさせたのでは、他にどんな成果があったとしても指導者としては失格である。

 国民の多くがひもじく疲弊するなか、金正日父子だけが肥満体というその姿が、金正日体制の悲劇を象徴している。

 金正日総書記は国民に対し自らを父に似せ「将軍さま」と呼ばせた。「偉大な領導者(指導者)」「21世紀の太陽」などと崇拝させ国民を服従させた。残ったのは父以上の超独裁体制であり、金総書記は「出来の悪い2代目」に終わった。

 「息子・金正日」の最大の失敗は父の死後、父の失敗を批判、否定できないまま“変化”を拒否したことにある。

 北朝鮮の閉鎖的な社会主義独裁体制は金日成時代にすでに行き詰まっていた。国民に自由を許さない極端な計画経済で経済は破綻し、国民はヤル気をなくしていた。金正日体制スタート後の大量飢餓はそのツケだった。