筵旗を立て海の若者が音頭とりで、

農村の若者も付和雷同して一週間に一度は別府の海岸に集まり酒は飲み放題、太鼓をたたいて大騒ぎするので、明治政府は日清の役をまえにして国民の反感をかうべきでないと計画を変え現在の田布施駅岩田駅開通が明治三十年とある。 当時郡役所や警察は室積にあり、有識者は将来の発展の為米出に駅を作り麻里府の海岸線通過を強く要望したが残念であった。
 堀田 伝 作 故郷の今昔物語より



 この写真は大正10年頃。尾津西川向さん宅付近より平生湾。