幻の鉄道

 明治二十年ころより清国との風雲が怪しくなり輸送機関「交通網」の整備が急速に必要となり室積=柳井間は飛脚道ばかりの山道で馬車が通るような道は無く、旧県道が梶取岬回りで青年団の社会奉仕等も加わり完成したのが明治二十七年である。 この頃「こんな大きな道を作って何にするのだろう。通る人も無いのに」と里人は言ったと古老は語る。 政府は山陽鉄道の敷設を急ぎ柳井津より平生別府これよりトンネルで室積通過の設計をした。 これに猛反対したのが、斜陽族の廻船問屋と漁民であった。 荷物は鉄道に取られ、漁師は汽車の通る大きな音に魚が逃げていなくなると言うのである。