学徒動員の回想

 昭和20年5月、我々柳井商工学校の2年生(機械科)2クラス100名は学徒動員として「光海軍工廠」に行くことになった。
 配属先は水雷部、砲熕部になつた。水雷部の50人は工場の疎開で柳井の新庄に7月の中ごろ疎開した。一方砲熕部の者は、島田門(現新日鉄)の近くの小山にトンネルを掘り、旋盤を主体に配置された隋道の工場。
 終戦の前の日、八月十四日、空襲解除の報はたしか十二時四十分頃と記憶している。ちょうど食事を終え外に出た途端、島田門方面より「ドスンドスン」という地響きと共に黒煙を吹き上げている。
 頭上には旋回するB29の巨大な翼がハツキリト目視され、一目散に隋道に走りこみ機械の下にもぐりこみ、数十分かんに亙り繰り返される波状攻撃の振動におびえていた。
 後はもう夢中と恐怖でガタガタと歯が音を立てていた。爆弾が炸裂する振動の度に土砂が飛び込んできて頭からふりかかる。生きた心地はしなかった。
 今日は終戦記念日 これは同級生の宇野君、砲熕部配属の回想の一部


 現在も砲熕部島田ずいどうの跡、スーパーアルクの南あたり、近くに「ボックス」という喫茶店がある近く。