p1*「赤紙」

 赤紙と呼ばれた旧日本軍の召集令状である、その赤紙宮沢喜一さんに届いたのは、敗戦の二カ月前だった。山口市の連隊へ行って、入営の身体検査を受けた。
 ところが、「即日帰郷」と告げられる。信じられなくて連隊の外でうろうろしていたら、日が暮れてきた。一目散に山口駅に向かって走り始める。一の坂川沿いだったのだろう。
 蛍が顔に次から次にぶつかって来て、初めて「本当に帰っていいんだ」と感じたという。当時、大蔵省(現財務省)で「戦争保険」を担当していた。その頃は米軍の空襲が激しく、被災者への保険認定作業でてんてこ舞いだった。
 「役所が軍に掛け合って召集されないようにしたんだろう」と後で気づいたそうである。
 中国新聞 7/1日 天風録記事より引用