文明の利器の誕生

 昭和一桁生まれのわたくしは、戦争体験から、食料難、敗戦体験そして、多くの文明の利器の誕生に立ち会ってきた。戦前は、祭り、お盆、正月等でないと食べることが少なかった。
 カマボコ、寿司、今ではいつでも購入して食べる事ができる。食べたいものがない食料難は、体験した者でないと分からないと思われる。今は飽食の時代、いづれ人類は罰を受ける。
 話を元に返し、戦後ラジオからテレビ放送だ。誕生から数年を経て、テレビに色がついた、お蔭で映画産業が衰退し、テレビにお株を奪われた。
 算盤、手回しのタイガー計算機を使った時代には、電卓の言葉すら存在していなかった。複写は青焼きコピー機。あの頃は「これ、一枚リコピーして」と商品名がコピーと同意語だった。
 いつしかリコピーは、ゼロックスにかわり、これまた商品名が普通紙複写機を代弁していた。電卓、普通紙複写機、プッシュホン、ファクス、オフイスコンピューター、ワープロそして゜パソコン。
 定年が近い団塊の世代のサラリーマンは、数々の「文明の利器の誕生」に立ち会っている。いづれも今の時代では、そこにあって当たり前の機器ばかりだ。これらの機器の誕生に立ち会うことが出来た僥倖をなんと見るか。
 わたしは心から感謝する。考えて見れば、大きな驚きを覚えることができたから、機器を利用することで、大いなる恩恵を受けることを感謝する。