引き続いて大津島の写真4

oekat82006-10-31

回天とは、敗勢を挽回し勝利に一変させる、と言う意味を持ち、光海軍工廠で組み立てられた人間魚雷「回天」は四型である。この四型は実戦には配備されなかったようである。
 昭和五十九年に編纂された「回想の譜・光海軍工廠」によると、昭和二十年五月、回天工作隊が解散になりその後は光工廠では組み立てしていないようである。私たち柳井商工校より学徒動員により配属された水雷部第二機械工場は、回天光訓練基地の直ぐ近くであった。
 動員中に人間魚雷の本物をかいま観ることが出来た。また我が家の前の海では連日、平生基地の特攻隊員による猛特訓が行われていた。当時は○四艇、○六艇と呼んでいた記憶がある。○六艇が回天であった。
 回天の基地は、大津島、光、平生、大神(大分県)の四基地である。大津島は当時海軍の魚雷の発射試験場があり、昭和十九年に、旧海軍が人間魚雷「回天」の発射訓練基地を建設した。
 全国で唯一残る基地跡、大津島に旧徳山市は海に散った若者たちの想いを後世に語り継ぐため島に「回天記念館」を建設した。



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