住吉神社の例祭

 元禄のころより(1690)、尾津地区は回船問屋が多くなり千石船の港として栄えた。北は北海道、南は琉球(沖縄)方面まで交易が盛んになり、従って帆船の海難事故も多く、航海の安全を祈る為大阪の住吉神社の分神をこの地に迎え、お祭りをするようになった。
 明治二十二年麻里府村設立されるや村社として昇格され、祭事には村長始め村の有志が多く参拝するようになった。基金完成と大正五年の記念碑が建立されているので社殿外、はその頃整備されたようである。
 この頃は麻里府の全盛期であった。従って四月の大祭は近隣名物の一つで、別府地区の関係の船はこの大祭に寄港する習わしであった。若い衆百人余りハッピ姿であばれ神輿を二代川まで(現田布施タイヤの所)おし歩き海中に入って「一名あばれ神輿」と名物のまつりであった。
 北国北方面との交流が多く、次のような歌(掛け声)が謳われていた。
ソロタソロタよ 加賀越前の ヨイヨイ お駕籠回しの ササ六尺  アーヨーホイホイ ヨイヨイヨイ
 アラランコララン ヨーホイ  イーイトナー ヨイヨイ  ホーランエンヤ ヨヤサノササッ ヤイヤイヤー マワレマワレ ヤイヤイヤー チヨイサージャ チヨイサージャア
 
堀田 伝 作 故郷の今昔物語より引用