年齢

 「年齢とは、これに進んで応和しょうとしなければ、納得のいかぬ実在である」と、小林英雄はその「還暦」という文章の中に書いている。人はたいてい、自分の年齢は自分にふさわしいと思っているのだろうか?。
 老いていることは敗北?、若さだけが価値である現在のような時代では、とくにそうである。その年齢が自分の年齢であるとは思えないのは、そう思いたくないと言う部分が大きいのである。
 これが私の年?気持ちはちっとも変わってないのに、という具合だ。しかし、そう感じてしまうのは、ある意味では一理ある。自分が自分であるという自意識の側は動かないのに、年齢が勝手に先へ行ってしまうからだ。
 この場合の「年齢」というのは、したがって「肉体」、時間のうちに生滅する物理的肉体のことである。超時間的な意識は変らないのに、時間的な肉体は変る。
 これが意識にとっては「納得がいかない」のである。年齢と自分との間には、何の関係もないじゃないか。そこに、若さとは心の持ち方次第だといった。往生際の悪い抵抗姿勢が出てきたりするのである。
 いずれにしても自分が自分の年齢に全くふさわしいということに、たちまち気がつくはずである。目がだんだん悪くなってくる、シワやシミが増えている、夜更かしをすると疲れがのこる。
 自分の肉体は、自分の年齢を、まぎれもなく示している。年齢とは、意識的抵抗を超えた動かし難い実在だと、必ず気がつくはずなのである。〜〜〜〜〜〜〜〜。
 週刊新潮 4/6日号 人間自身 池田昌子さん記事より引用