古里を愛する気持ち

 都会人の農村離れは深刻だ。小泉首相、竹中、米国追従コンビの影響もあり、このところ都会の子供たちは農村に背を向け、興味を持たず、わずらわしくさえ思っている。都会の低学年児童の中には、ニワトリの絵に足を四本描いたりする。
 カブトムシの足が折れると、ゴミ箱に投げ入れてしまう。どこか歯車が狂い、社会がねじれ始めた。こうした都会人の農村離れは今に始まった事ではないが、怖いのは田舎でさえも、子供の田舎離れが始まっている事だ。
 たとえば農業をやっていても、子供たちは親の仕事に興味を示さず、テレビゲームをやったり、ロック音楽を聴いたりしている。テレビも雑誌も皆「東京発」のものだ。
 農業機械の導入は革命的に作業の変化をもたらした。しかし、一方では「危ないから、〜〜〜より勉強せよ」と共同作業の機会が失われた。子供たちの歓声が畑や田んぼから消え、孤独なエンジン音のみが響くようになった。
 そして、子供たちは都会へと出て行くようになりました。その子供たちに古里を愛する気持ちはどこで芽生えるのだろうか?。悲しいことである。