電灯が初めてついた頃

 尾津地区に初めて電灯が灯いたのは、大正五年八月であった。古老は電灯はひとりでに灯くので、紙なんか置かないように火事に用心せよと言う。物知り老人の笑い話が残っている。
 中郷、上郷地区は「カンテラ」と言うブリキで作った小さな容器に石油を入れてトモシビに火を灯けて柱にある釘にかけておくのが普通で、宴会やお寺の供養の時はランプを使用し、本堂のアチコチに吊り下げて置くのが習慣であった。
 この地区に電灯がついたのが、昭和四年六月であった。この年の一月から地区有志の家に中電の電工が二、三名泊まりこみ、地区の青年五、六名が毎日奉仕作業で電柱を建てたり「杉丸太」配電線の手伝いをした。
 この頃一ケ十燭光であったが、二ケ灯ける家は少なく、電灯は要らないという家もあり、世話人は苦労したものである。農村経済はこの程度の貧困であった。上郷に電灯が初めて灯った時間は午前十時であった。
 この頃は「蚕」が盛んに飼育されており、桑をつむ人も家に帰って電灯がともったと喜んだ人や向こうの道から電灯がついたと大声でさけぶ老人もいた。尚馬島に電灯がともったのが昭和三十三年一月(戦後)であった。
 堀田 伝 作 故郷の今昔物語より引用