M郵便局

 徳川幕府は飛脚を置き、幕府の御用郵便であった。幕末ころには民間用の飛脚屋もでき、柳井、平生には取扱店も出来たが、料金が高くて庶民の利用はなかった。
 明治四年、前島密事務官は政府の手で郵便物取り扱い店を設け、郵便切手も新しくできた。 明治五年には全国に取扱所を設け、最初は距離により料金を定めた。
 飛脚屋も料金を下げ対抗した。明治六年全国統一料金となり、飛脚屋は他に転業させ、政府の専業となる。
 郵便取扱所は政府に施設を作る財源が無く、地区の有志に委嘱し、その家を取扱所とする。手数料は少ないが、政府役人となり判任官という事はかなりな魅力であり名誉であった。
明治十九年より三等郵便局と改め、日露の役も終わり、明治四十二年三月水田栄蔵局長となり、事務所は水田家前の持ち家を局舎として発足した。
 事務には、事務に堪能な成川貞吉を事務責任者としてM郵便局は発足した。明治四十四年七月 成川貞吉局長になる。事務所は自宅前に新築移転する。
 堀田 伝作 故郷の今昔物語より引用