農村の歩み

 明治二十年、ハワイに製糖工場が多く労働者不足で勤勉な日本青年はハワイ移民が始まった。 又、一家をあげて北海道移民をした人もあるが結果としてハワイ移民は成功して帰郷したが、北海道移民は消息不明である。 日清の役は大勝したが、国の財政は苦しかった
。 山口県では楠の木を植え、樟脳の増産に力を入れ、麻里府村役場や小学校の回りには楠の木が30本余り残っていたが、いまでは小学校の校庭に楠の老木が一本日清戦争のなごりである。 その老木の楠も一昨年の台風で、半分倒れた。 第一次世界大戦が終了し、世界的大不況がおとずれた。 国家も慌てて不況対策として生糸の米国向け輸出を計画。 農村に奨励し、農家の殆どは春、夏、秋と三回蚕をかい繭は島田駅付近の繭の競市場へ運んだ。 米国も不況で生糸を買わなくなり、村役場は養鶏を奨励し、各農家は養鶏に早かわりしたのが大正十一年頃であった。
 堀田 伝 作故郷の今昔物語より