見田団地、大字麻郷の由来。(町村制実施、明治二十二年)

 別府村、馬島が連合して麻里府村を設立する。 この頃回船問屋の多い麻里府地区と米や塩作りの多い麻郷地区では気風が違い、意見が合わず結局別府と馬島で連合一村設立する事になった。 麻郷と村境を決める時も、二代川より山の峰伝いと話は進んだが、石崎松兵衛が家なら一家もやらんが、山なら欲しいならいるだけ持って行けと啖呵をきって、見の越、見田団地の中を通っている昔の往還道を村境にしたと言い伝えている。 其の名残として「見田団地、見の越団地」は現在大字麻郷となっている。
 堀田 傳 作 故郷の今昔物語より引用。

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