学徒動員について

六十年前の八月六日、広島市の中心部の建物疎開に動員された学徒約五千九百人が、米軍の落とした原爆でなくなったと言う。 参加学徒の71%におよぶという。 全国で亡くなった学徒動員一万九百六十六人に対しても半数以上になる。 なぜ広島で、こんなに生徒が犠牲になってしまったのか。 一九四四年当時、学徒動員令が閣議決定され全国で学生、生徒三百四十万人が軍事工場などへ動員された。 広島では幼少の中学一、二年生が建物疎開に割り当てられた為、原爆に被災した。